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夏の風物詩である全国高等学校野球選手権大会通称甲子園の記念すべき開催地はなんと大阪の豊中市なんです。

1915年に大阪朝日新聞の企画として全国チャンピオンを決める大会として第一回全国中等学校優勝野球大会(現全国高等学校野球選手権大会)が開催されることになったのですが、その開催地として選ばれたのが当時2万㎡とトップレベルの規模を誇った豊中グラウンド(豊中球場)だったようです。

そんな全国高校野球の発祥の地である豊中グラウンドは残念ながら1922年には閉鎖されて現在は跡地が残っているだけなのですが、その跡地である高校野球メモリアルパークに行ってきました。

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豊中グラウンド跡地には阪急宝塚線豊中駅の北改札口へと向かいます。

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北改札口を出て外に出るとあとはひたらすら西へ歩くのみ。

阪急電車のおでかけ情報を見ると西に500mとあるのでとにかくこの道をまっすぐ歩きました。

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周りは完全な住宅街で、豊中グラウンド跡地なんかまったく見えてこなさそうな雰囲気でしたが見えてきました。

駅から西への道をあるくこと僅か約5分。

結構な時間は歩くのかなと覚悟してましたが、意外にもあっさり到着。

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これが全国高校野球の発祥地である豊中グラウンド跡地を記念した高校野球メモリアルパークです。

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ちなみに周りはこんな感じで完全な住宅街になっています。

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ちなみに高校野球メモリアルパークを裏側から見るとこんな感じです。

結構ひっそりしている印象です。

豊中グラウンド跡地の前と後ろには広いグラウンドのような土地が見られましたが、これらは分譲マンションの建設予定地でした。

両側にしっかり分譲マンションが建てばさらにひっそりしそうです。

正直ただ単に歩いていれば気付かないレベルだと思います。

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豊中グランド跡地には様々なレリーフが飾られていました。

その中でも目に止まったのが第一回大会の始球式の様子を記したレリーフ。

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第一回大会の始球式を行ったのは大会企画会社である朝日新聞の社長さんだったようです。

村山龍平さんの始球式から甲子園大会のすべてが始まったんですね。

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そして大事な大会の審判長を務めたのが荒木寅三郎さん。

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副審判長を務めたのが平岡寅之助さん。

審判長、副審判長ともに名前に寅が入っていますが、これは偶然でしょうか。

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そして記念すべき第一回大会の最初のマウンドに上がったのは鳥取中学の鹿田一郎選手。

鳥取は県予選の参加校数が少なく甲子園大会でも目立った記録を残せていないのですが、実は全国高校野球の最初の守備についた県という名誉ある記録があったんですね。

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第一回大会の参加チームは、秋田中学校、和歌山中学校、高松中学校、鳥取中学校、廣島中学校、山田中学校、京都第二中学校、久留米商業学校、早稲田實業学校、第二神戸中学校の全10校。

全国高校野球選手権大会の第一回大会である1915年第一回全国中等学校優勝野球大会の優勝校は京都第二中学校です。

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第二回大会の参加校は、一關中学校、長野縣師範学校、京都第二中学校、和歌山中学校、鳥取中学校、香川商業学校、慶応義塾普通部、愛知第四中学校、市岡中学校、関西学院中学部、廣島商業学校、中学明善校の全12校。

この1916年の第二回大会の優勝校は東京の慶応義塾普通部。

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また、残念ながら豊中グラウンドで行われた全国野球大会は1916年の第二回大会が最後となりました。

第三回大会からは兵庫県西宮市の鳴尾球場に開催が変更となり、大阪府豊中市での現全国高等学校野球選手権大会の開催は第一回大会と第二回大会の2回のみのようです。

ちなみに全国高校野球大会で大阪で初めて全国制覇を果たした高校は浪速商(現大阪体育大学浪商高等学校)で、1932年に春の選抜大会で優勝を果たしました。また、夏の選手権大会を初めて制覇した大阪の高校も浪速商で、1946年に全国制覇を果たしています。